2017年4月20日木曜日

闘いなくして安全なし No.117

https://drive.google.com/file/d/0B6_MNKzi3eCFN1JlSW8yQTQxbEk/view?usp=sharing


事故から12年 尼崎事故にどう向きあったか
レール160㎞交換させた動労千葉の安全運転闘争

 4月25日で、05年の尼崎事故(JR福知山線脱線事故)から12年がたちます。
 当時、JR東日本ではレール破断が相次いでいました。動労千葉は尼崎事故を、「同じ鉄道会社の労働組合としてどう向き合うのかが問われる事態」と捉えて闘いにたちます。

外注化・合理化でレール破断続出

 設備部門の全面的な外注化から約2年が経過し、04年に入った頃から千葉ではレールが次々に破断し始めていました。
 その後もレール破断が続出する中、動労千葉は05年3月、運転速度を落とす安全運転闘争を3日間にわたって闘いました。尼崎事故が起こったのは、その直後でした。
 過密ダイヤと厳しい締め付けに極限まで追い詰められた運転士が大幅な速度超過でカーブに進入して列車が脱線。マンションに激突して車両
がひしゃげ107人の犠牲者を出しました。
 動労千葉は事故から1カ月を期して5月25日から再び安全運転闘争に入りました。闘いは、3カ月以上にわたって継続されました。

労働組合の闘いで社会問題に

 決して大きな遅れが出る闘争ではありませんでしたが、会社は激甚に反応します。膨大に動員した管理者を運転台に乗せて監視し、組合役員などに処分を乱発しました。
 外注化や合理化による矛盾が、レール破断という鉄道会社としてあってはならない形で現れたことへの闘いは、会社にとって最も痛いところを突いていたのです。
 しかし、動労千葉の闘いでレール破断は社会問題になります。動労千葉には激励の電話やメールが多数寄せられ、マスコミにも取り上げられました。
 結局、先に音を上げたのは会社の方でした。60㌔以上のレールを交換や7月以降の闘いは処分対象としないことなどを約束させたのです。06年の闘いを含め、最終的に160㌔にのぼるレールを交換させました。
 動労千葉は鉄道の安全を守るために真剣に闘うことで尼崎事故を引き起こした現実と闘いました。そして、労働組合の闘いがどれだけの影響力を持てるのかを示したのです。

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